Date last visitedが気になるとは
経緯
あると気になる
他の人が見てくれてる感を味わいたくなる(心が軟弱)
反面承認欲求に振り回される危険もある
少なくとも、このプロジェクトの運用においてそのような感覚を覚えたことはない。
「承認欲求」
私は「承認欲求」という言い方はしなかった
私個人は「評価」が気になっているわけではなかったから
(誤読されている、的なことを言いたいわけではないですよ!)
では何が気になっているのか
たとえば、このページも考察の切れ端のようなもので、ある種の「表現活動」とはまるで関係がない。このページたちへの評価は、私が欲している評価とは何も結びついていない。
私もそんなに「表現活動」という意識はない(ページによって差があり、全てに表現活動感があるわけではない)
表現とか承認とかいうよりもっと手前の段階にある
「誰かが私に興味を持ってくれている」という感覚
誰かに興味を持たれた結果、どう評価されたか、ではない
それはそれで気になっているところはあるが、とりあえず「Date last visited」について考えていることではなかった
誰にも見向きもされずに独りで生きている、のではない、という実感
現実世界でそんなに孤独を感じているのかと言えば別にそうではないのだが、そういう「やむを得ない経緯」的なもの無しに、「誰かが興味を持ってくれていると嬉しい」という気持ちがある
嬉しいので、嬉しさを得ようとして無駄にF5押したり
もしViewsに自分がカウントされないとすればそれも気になる要素になっただろう
間歇作用
それありますね
自分のアイデンティティに関わるような(劣等感の傷を舐めてくれるような)強くて暗い意味合いはなくとも、シンプルに嬉しい感じがするのでその感じを得たくなってしまう
他人の動向に依存しているので間歇強化が発生する
何を問題としているのか
時間を空費する
何も生まない時間を過ごすことになる
他のことをやっていても「誰か自分のページ見たかな~」みたいなことが途中で気になり、集中が途切れる
間歇強化の誘惑に襲われている
自分ではなく他の人の足跡を感じるべく、自分で自分のページを開くのを控えてしまう
愚かなり
「Date last visited」を非表示にした結果
全く気にならなくなった
見たくても見れないので当然である
そのうち「Date last visited」の存在も忘れた
確認する頻度が少ないと、普通に自分があちこち見ているので自分が訪ねたのか他人が訪ねたのかもはやわからない
ので、「Date last visited」に「他人からの興味」を示すものとしての意味を感じなくなる
強烈な承認欲求が絡んでいるとかではなかったので、UserCSSで非表示にしとけばもう別に気にならないということになった
もし承認欲求に支配されていれば「非表示にしたままでいる」ということ自体が成り立たなかったであろう
私が「Date last visited」を気にしなくなる日は来るか?
毎日誰かは私に興味を持っていて当然、みたいな状態になればそうなるかも?
配偶者の有無や配偶者との仲の状態とかも関わるかもしれない(これは適当な仮説)
まだページの存在を忘れるほどの数を置いていないので「繰って欲しい」と感じていない
非公開プロジェクトは2000超になっていて誰かに繰って欲しい…